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新潟県の東電核災害での汚染状態 2014年 (加筆④) [放射能汚染]

新潟県の東電核災害による放射能汚染を検討評価する会議がありました。「新潟県放射性物質の循環に関する実態調査検討委員会」です。事務局は防災局放射能対策課です。2015年2月6日に福島第一原子力発電所事故に伴う新潟県内の放射線等の監視結果(2014年版)を検討評価しました。
監視結果(2014年版)は県のサイトでいずれ公開されるでしょうが、
山菜やツキノワグマなどの野生動物の肉から検出されています。飲み水の原水となる河川水からは検出されず。浄水場の汚泥からは検出、水道水からは検出されず。浄水場が水を浄化する役割を果たしているとわかります。
 下水処理場の汚泥からは放射性セシウムは検出されず。放射性ヨウ素が検出されています。医療で用いる、甲状腺癌の焼殺に用いられたものが検出されたのだと思われます。含水率80-85%の汚泥では8月、9月に新潟市、長岡市、旧新津市で検出されてます。
 ごみの焼却灰(飛灰)では、2011年6月29日から7月2日の調査では糸魚川市除いて全ての調査施設で検出されたものが、2014年では不検出は16施設になっています。ただし、南魚沼市・310Bq/kg、魚沼・59、十日町市・79とブルームが群馬を経て到達した地域、阿賀町・80と福島と接する地域で高くなっています。2011年に降下したもの、附着した物でしょうが、再浮遊して汚染しているのでしょうか?
 川の泥や海底の土の汚染は分布や総量では大きく増えも減ってもしていません。新たな大量の流入はおきてないと見られます。ただし、物理的には崩壊で減るのですから、その減少とバランスするだけの流入はあるとみられます。魚では、新潟市のフナで2011年の半分量ですが検出されています。海産物は検出されいません。捕獲海域がわかる海産物は海底土の汚染が見られない海域の物で調べていますから、当然です。フナから類推すると、2011年の半分量程度ではないでしょうか。
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 委員長の今泉・新潟大学教授から湖沼の湖底土の放射性セシウムについて発表がありました。新潟は鳥屋野潟と佐潟、福島県は猪苗代湖や五色沼など8地点です。湖沼の泥のセシウム134の調査結果が示されました。それでは、佐潟では検出されず、鳥屋野潟では2013年9月に約20Bq/kg、2914年5月10月に数Bq/kgでした。福島県側はいずれも2014年10月でも数十Bq/kg以上でした。

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 裏磐梯の秋元湖、五色沼は、2013年5月、10月、2014年5月には250Bq/kg以上でしたが、2014年10月には200程度に下がっています。福島市西部の大笹生にある自然湧水の十六沼は、2013年10月は約60、2014年5月には約40程度です。水源の自然湧水は、今泉教授によれば「湧水の滞留期間は2年ほど」です。東電核災害の発災は2011年3月です。その頃に地下に浸透した水は、2013年の春頃から湧き出る勘定です。湧水がセシウムを運んだとしたら、単調な増加を描くとみられます。しかし逆に2014年5月には1/3ほど低くなっています。湧水がセシウムを運び込んだの主犯ではなく、周囲の雨水で運び込まれた近傍の周辺地帯の物でしょう。ところが、2014年10月には300を超えています。いったい何があったのでしょうか。今泉教授の「湧水の滞留期間は2年ほど」は十六沼には当て嵌まらず、3年半ほどとすると説明が可能です。
 飯館村の北部を東流する真野川をせき止めた多目的ダムのダム湖の「はやま湖」は、2013年5月は約380、10月は約80、2014年5月は約380となっています。積雪の融水が春先にセシウムを運び込み、農業などで使われる水と共に流出している様が見られます。そして2014年10月には下がりますが、約280と下がり幅が異様に小さくなっています。これも湧水の滞留期間は3年ほどと仮定すると、水使用による流出減少に、湧水による運び込み増加が重なったとして説明が可能です。
 裏磐梯の秋元湖、五色沼は、1888年(明治21年)の磐梯山噴火の時の中央部の山腹崩壊(山体崩壊)、さらに泥流も発生して大倉川や中津川等が堰き止められて形成された堰止湖であり、湧水の滞留期間がはるかに短いと考えられます。融水による運び込み増加が調査開始時点では既に起こっていたと考えられます。

 今泉教授は「セシウムCsの濃度は自然崩壊による減少と除染による影響を受け、減少している。」と結論しています。崩壊による減少は誰もが否定できません。しかし除染は人家近隣で行われています。秋元湖など湖沼の周辺では、行われていません。湖底土のセシウムCsの濃度は、この影響を受けるとは考えられず、測定値もそれを示しています。特に十六沼の推移はそれを示しています。「除染による影響を受け、減少」は飛躍しています。あたかも、結論が先にあったような論理立てです。 
森からの放出 
続いて、田上恵子委員(放射線医学総合研究所、放射線防護研究センター)から「森林閉鎖系における放射性物質の循環」との題で報告講演がありました。冒頭、「放射性物質(ここで問題になるのは放射性セシウム)については、その動きから『閉鎖的』つまり、森林の外へはなかなか出てこない、といえます(1年間あたり、降下したセシウム全量の1%未満)。」と、森林は、セシウムを貯蔵保持する、外部への流出拡散は少ないという趣旨の発言がありました。

人手が入らない自然な状態なら、セシウム全量の1%未満なのかも知れません。今泉教授がいうように降下したセシウムの33%がセシウム134、66%がセシウム137ならば、物理的崩壊で2年後にセシウム134は半減しますが137は殆ど減りませんから、森林に蓄えられる総量は降下時の83%ほどに減ります、流出量も初年の17%減ります。4年後には72%ほどになります。6年後には65%ほどになりますが、そのあとは年に0.6%程の流出拡散が続きます。東電核災害は2011年3月ですから、2007年までは流出拡散量は、急激に減り続けます。しかし、その後は前年比で1%ほどしか減らなくなります。ダラダラと流出拡散が続くことになります。
 我々とって問題な出て来る量、流出拡散量の絶対量・値でみると降下したセシウムが1万Bqなら1%は100Bqですが、1000万Bqなら10万Bqです。2007年頃には、降下したセシウムが1万Bqなら65Bq前後、1000万Bqなら6万5千Bq前後になって、その後もほとんど減らないということになります。

森林内部、生態系でのセシウムの循環。
その後に、タケノコ、樹木の山菜、草本の山菜、野生動物のセシウム含有量の推移を示しました。
これで森林生態系でのセシウムの循環や挙動を示したということなのでしょう。

 
竹林、タケノコ
 竹林は林野地に分類されます。そしてタケノコは栽培されています。勝手に自生してはいません。タケノコ栽培は林業の「特用林産」ではなく「耕種農業」として行政的には農業扱いです。

 タケノコは収穫の早い順にモウソウダケ孟宗竹、ハチク淡竹、マダケ真竹があります。地方によっては、その他にも食用にしてますが、肉厚で歯ごたえが良く、用途が広く、おいしく、早い時期から食べられるのは断然モウソウダケです。孟宗竹は江戸中期にも中国から薩摩にもたらされたものです。タケは地下茎の断片的な部分から貯蔵された栄養だけで小さなタケがはえ、これが元になって新しい地下茎と若竹を増やし、10年もたたぬうちに竹林になります。この性質から、瞬く間に各地にモウソウダケの竹林が造成されました。

 竹は、樹高が十数メートルしかない里山や二次林などには侵入すると、ひと夏の内に既存の樹木の上に葉を広げることができます。竹の陰になった既存の樹木は衰えていき、そのうちに竹林に取って代わられます。そして自然の力でその土地の気候にあった自然性の高い、多くの生物種が生息する林相に向かって推移していこうとする生態遷移を完全に止めてしまい、遷移の方向とは逆行する竹林という単純な林相を作って長期に安定してしまいます。
 竹林になってそのまま放置されると、竹が密になります。竹の植生密度と発筍量は反比例し、竹が細くなります。竹林は放置すると細いタケが密生する文字通りの竹薮になり、林内は暗くなって中に生育できる植物種は限られてしまい、生物の多様性は極端に低下します。眼の高さの太さで9センチ程度、節間中央の周囲が26から38センチの竹が10a一反で600~700本が竹材用、より疎で竹と竹の間に畳が敷ける位離れて200~300本が竹の子用の竹林です。
 日本の竹林は、竹材とタケノコを目的に農家の近くや里山丘陵地に造成された竹林です。竹材は農業用資材、日用のさまざまの器具類、家具や建築用材などで、タケノコはもちろん食用です。竹の本数を調整したり施肥をするような栽培された竹林は、日本、中国、台湾のほかは、あまり見られません。
 竹には形成層がありません。樹木には形成層が毎年肥大し年輪ができ成長します。それがないので太ったり伸びたりの成長は、1年でおしまいです。竹は生えた年内に自分の体を完成させ、翌年からは同化作用を営んで、作り上げた養分を地下茎に蓄え、タケノコや新たな地下茎の生長へ回します。孟宗竹の地下茎は大部分は地表に近い深さ20センチ以内にあります。タケノコの発生は、親の竹が3~4年目がピークです。竹材としても3~4年で成熟し、以降は硬くなり価値が落ちます。このため1本の竹の寿命は15年程度ですが、出てから5年目、6年目で竹は伐採します。
 タケノコは無施肥でも10a当り200~300kgの収穫があります。しかし肥料を施せば、多く取れます。10a当りタケノコ100kg増産するには肥料成分量はチッソ2.7kg、リンサン1.2kg、カリ1.7kg、ケイサン2.1kgとされています。また有機質の腐植が減少したり、土壌の物理、化学性を悪化するとタケノコの量質とも落ちますから、有機質肥料は必らず併用されます。
 孟宗竹の地下茎は大部分は地表に近い深さ20センチ以内にあります。タケノコは日が当たる乾燥して味が落ちますから、食用のタケノコの多くの長さが地面下にある20センチ程度なのです。逆に、京都などでは、夏以降に、敷き藁、保水力のある赤土など客土を3~5センチ重ねてフカフカの布団をかけた様にします。敷き藁が腐れば有機肥料ですし、地下茎は上に乗った敷き藁や客土の分だけ深いところから出てきて大きく、軟らかく、美味しいタケノコが収穫できます。
 田上恵子委員(放射線医学総合研究所、放射線防護研究センター)は、こうした事をご存じでは無いようです。資料には「タケノコはほとんどが民家の近くで採取される。」と親竹の伐採など人手が入り栽培され収穫ていることを知らない記述をしています。またセシウムの溜まり場になる「落ち葉の吹き溜まりになるような谷地はあまりない。」としていますが、大きく、軟らかく、美味しいタケノコを収穫するには落ち葉を重ねてやります。
 私は、何のためにタケノコを持ち出したのか、判りませんでした。森林は、セシウムを貯蔵保持する、外部への流出拡散は少ない事を示すには不適切な例だと思います。竹林で考えると、伐採される親竹でも、そこに蓄積されるセシウムが林外に持ち出されます。親竹は5~6年で伐採されます。それで林外に持ち出される量は如何ほどでしょうか。
 また、タケノコはどのような形態で測定されるのでしょうか。泥の付いた外皮を外して、茹でると成分が水に出るので生のままで測るのでしょうか。それでは、食べる部分の汚染量がわかりません。また地下20㎝位に地下茎があるのですから、その付近の成分を吸収しています。資料には深さ5㎝までに比べ、15から20㎝の土壌のセシウム量は50分の一から100分の一程度とあります。ところが、汚染量は深さ5㎝までに根を張るフキノトウなどの草本の山菜より高いのです。
 私は、何のためにタケノコの測定値を持ち出したのか、判りませんでした。
野生キノコもそうです。

キノコは学問的には糸状菌のつくる子実体の比較的大きなものです。子実体は菌の胞子を散布するためのものです。糸状菌は光合成によって養分を作る能力はなく従属栄養で暮らします。動植物の遺骸や落ち葉、倒木などを栄養源とする腐生性の腐朽菌、菌根菌など腐朽菌と植物の生きた根が必要な菌、冬虫夏草菌など昆虫類に寄生する菌等に分かれます。

 共生が必要な菌は病気を起こす「寄生菌」と植物と利益、有機物や水分を分かち合う「共生菌」(菌根菌・VA菌)です。我々が日常的に食べるキノコ、シイタケやナメコなど栽培されているキノコは、「腐生菌」です。マツタケなど菌根菌のキノコは、植物の生きた根が必要ですから栽培は困難です。森林の地上に発生するキノコは、採取キノコの多くが菌根菌です。
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 根の先端に菌類がつくる「菌根」からは菌糸(外生菌糸)が伸びて水を吸収し、根を通じて植物に送ります。菌糸は、酵素を外部に出して養分を分解し、植物に送るし、有機酸を出して鉱物を溶かし、ミネラル分を植物に送ります。逆に、植物から光合成でつくられた栄養分などを得ます。植物から100mも離れた地点でキノコが見つかり、そこまで菌糸が延びている例が発見されています。セシウム吸収の点では、腐生菌のキノコに比べ菌根菌のキノコは植物(樹木)との関係、ワンクッションあります。腐生菌よりも広い面積から九州もしています。この二つを混ぜて扱うと間違えてしまいます。

 田上恵子委員(放射線医学総合研究所、放射線防護研究センター)は、森林から採取される野生キノコと一緒に十把一絡げ(じっぱひとからげ)にしています。地下の菌糸からキノコが生える図と共に「まれにスケールオーバーする場合もある←元になる落葉等を分解中」と記してあります。森林の地上に発生するキノコは、採取キノコの多くは菌根菌です。セシウム吸収の点では、菌根菌のキノコは植物(樹木)とワンクッションあります。スケールオーバーする場合、どちらの種類なのか、腐生菌か菌根菌のキノコかは大きな問題です。キノコと言ったらシイタケ・ナメコのように枯れ木・倒木を腐れせて分解して養分とするキノコしか思い浮かばない町の人を相手にしているから手を抜いたわけでもないでしょうから、論議の道筋が粗雑です。
 タケノコといい野生キノコといい田上恵子委員の論は、道筋が良く見えないものでした。




たけのこ筍あれこれ [作物あれこれ]

タケノコ栽培はマツタケ栽培と同じ、林を手入れしないとおいしい物は採れない

2005年4月小針店で印刷・配布したものに加筆

  タケノコは、タマネギ、アスパラガス、セロリー、花野菜などとほぼ同等の栄養価を持っています。独特の旨味は、チシロン、アスパラギン、ベタインなどの成分によるもので、歯応えはセルロースによるものです。

 竹の本数を調整したり施肥をするような栽培された竹林は、日本、中国、台湾のほかは、あまり見られません。 

日本の竹林は人工造成された竹林

  ひと口にタケといっても種類は多く、タケ・ササに属するものは世界で1、200余種、日本では600余種が知られています。ちなみの、笹と竹は、竹の子・筍が生長してタケの皮(葉鞘ヨウショウ)が脱落するものがタケ、ササは何時までも着いて残っている点で便宜上は区別しますが、和名とちがうことも多い。ササもタケも、分類学的にはイネ科という大きなグループの一員です。日本以外の外国では、これら全てをタケ類(Bamboos、バンブー)とよびます。熱帯地方のとくに雨の多い地帯に豊富で、タケの仲間が多いのは、温暖なアジアの東南部、アフリカ、南アメリカで、ササの仲間は熱帯に少なく、むしろ温帯を中心にサハリンや千島列島にまで分布します。
 
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 タケノコは収穫の早い順にモウソウダケ孟宗竹、ハチク淡竹、マダケ真竹があります。地方によっては、その他にも食用にしてますが、肉厚で歯ごたえが良く、用途が広く、おいしく、早い時期から食べられるのは断然モウソウダケです。孟宗竹が江戸期にも中国からたらされたということは定説になっていますが、真竹、淡竹については、古い時代に持ち込まれたという人もいれば、日本の自生種だという人もいます。
 
 つまり、私たちがよく目にする竹林は、孟宗竹は人間が栽培して広めた竹林です。竹は開花すると枯れ上がりますが、マダケ真竹、ハチク淡竹は開花してもほとんど種子をつけません。地下茎の断片的な部分が数年間生きていてそこから小さなタケがはえ、これが元になって新しい地下茎と若竹を増やし、開花後10年もたたぬうちに元の竹林に回復てしいます。この事から、淡竹、真竹の竹林も人間の手が加わって全国に拡がったことがわかります。
 日本の竹林は、竹材とタケノコを目的に農家の近くや里山丘陵地に造成された竹林です。竹材は農業用資材、日用のさまざまの器具類、家具や建築用材などで、タケノコはもちろん食用です。竹の本数を調整したり施肥をするような栽培された竹林は、日本、中国、台湾のほかは、あまり見られません。
 
今や幻の「目黒のたけのこ」

 タケノコはその漢字「筍」が示すように、一旬(10日間)でタケになるというほど成長が速いのです。タケを含むイネ科の植物は、細胞分裂が稈の頂端の成長点だけでなく、各節のすぐ上の成長環(分裂組織)の両方で細胞分裂が行なわれ、細胞数が増えて成長が進みます。タケの仲間は、この節、成長環の数が非常に多いのです。稲は10数の節ですが、孟宗竹や真竹では60~70節もありますから、特に速いのです。
 
 お米のイネは1年草ですが竹は多年にわたり生えています。しかし太ったり伸びたりの成長は、1年でおしまいです。杉や松などの樹木には毎年、細胞分裂して太ったり、伸びたりさせる「形成層」と呼ばれる組織があります。これが年輪を作ります。竹はどんなに太くても年輪はありません。形成層がないからです。成長は、1年でおしまいですから竹の年齢を見分けることは、大変むずかしい。

 竹は生えた年内に自分の体を完成させ、翌年からは同化作用を営んで、作り上げた養分を地下茎に蓄え、タケノコや新たな地下茎の生長へ回します。タケノコの発生は、親の竹が3~4年目がピークです。竹材としても3~4年で成熟し、以降は硬くなり価値が落ちます。このため1本の竹の寿命は15年程度ですが、出てから5年目、6年目で竹は伐採するのです。正確な年齢がわかるように竹栽培農家の皆さんは、タケノコから竹に成長した年号を1本、1本の竹に墨で黒々と書いて、一目で年齢が分かるようにしています。

 タケノコは放っておいても10a当り200~300kgの収穫があります。しかし肥料を施せば、多く取れます。10a当りタケノコ100kg増産するには肥料成分量はチッソ2.7kg、リンサン1.2kg、カリ1.7kg、ケイサン2.1kgとされています。また有機質の腐植が減少したり、土壌の物理、化学性を悪化するとタケノコの量質とも落ちますので、有機質肥料は必らず併用しなければならりません。

 東京の目黒は、江戸の寛政から昭和の初めまで“太く、柔らかく、おいしい”と三拍子そろった“目黒のタケノコ”の産地でした。目黒不動前の料亭で出される“名物筍飯”は多くの客を呼んでいました。目黒式という独特の栽培法が行われていました。孟宗竹の地下茎は大部分は地表に近い深さ20センチ以内にあります。タケノコは日が当たる乾燥して味が落ちますから、食用のタケノコの多くの長さが地面下にある20センチ程度なのです。目黒式は、関東ローム層の軟らかい土質を利して地下茎を掘り起こして、深く掘った溝に埋め直し肥料を施すのです。肥料を吸い込み、深いところから出てきますから、大きく、軟らかく、美味しいタケノコがとれる理屈です。目黒のタケノコは、関東大震災後に宅地化して姿を消してしまいました。
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 京都などでは、地下茎が成長をする梅雨、6月前に肥料を施します。雨水とともに肥料分が土中深くしみこみます。夏以降に、敷き藁、保水力のある赤土など客土を3~5センチ重ねてフカフカの布団をかけた様にします。敷き藁が腐れば有機肥料ですし、地下茎は上に乗った敷き藁や客土の分だけ深いところから出てくることになります。京都のタケノコ栽培は明治には一時、衰退しそうになりましたが、いち早く京都のタケノコの良さを全国にPRし販売促進が行われました。その結果、当時の流通方法で品質が維持できる期間内に食卓にのせることができたのは東京から広島まででしたが、消費量が格段に伸びて、栽培面積も拡大し、現在では、ブランド京野菜のなかでも最も人気の高い品目の一つとなっています。
 
タケノコ用竹林は背が低く疎林

 もっぱら竹の子をとる竹林と竹材用の竹林は一目で違いがわかります。竹の子は地下茎でつながった竹(親竹)の光合成・同化作用によって作られた栄養分によって生育します。したがって、京都などにあるタケノコ専用竹林は、親竹に十分に陽光があたるように間を空けるようにして竹林を作ります。これに対し、竹材はその年に伐り出す分だけ竹の子が出て来れば良いのです。
 
 タケノコの太さと親竹の太さはおおむね比例し、竹の子の親竹は眼の高さの太さで9センチ程度、節間中央の周囲が26から38センチが一番良いとされています。この太さの竹が10a一反で200~300本が竹の子用の竹林、竹と竹の間に畳が敷ける位離れています。竹材用では同じ太さなら600~700本で、密生しています。
 
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 また、竹の子を早出し出来れば、高値で売れます。そのために親竹が5~6mに成長した頃、タケノコ採取が終わった5月頃に先端を伐採する、芯止め、ウラドメという作業があります。竹は節が60~70できますが、それを17~18節で竹の生育をとめるようにする作業です。竹は生えた年内に自分の体を完成させ、翌年から作り上げた養分を地下茎に蓄え、タケノコや新たな地下茎の生長へ回します。先端を伐採することで、早めに切り替えを起こしタケノコの早出しに効果があります。それと風で竹が折れるのを防ぐ効果があるという作業です。ですから、芯止め、ウラドメされたケノコ用の竹林は背が低い竹林になります。
 しかしこの先端伐採で、竹に破断面、傷がつきます。竹材用では伐竹の時期は、防虫および生理的面から検討すると、春より夏にかけての伐採はさけた方がよく、適期は10月から翌年1月までとされています。タケノコ用の竹林の親竹更新の伐採も、適期は10月~12月です。ですから、春より夏にかけての行われる芯止め、ウラドメは病虫害を呼び寄せる心配があります。竹林は林野地に分類されます。林野地における農薬使用は、松くい虫防除の例を見ればわかるように、我々の眼からは規制があってないがごときです。
 
「自生」タケノコを食べて里山を維持しよう

   さお竹といいいますが、今や竹製にお目にかかるでしょうか?竹材の価格は低迷し、タケノコは外国から安い加工品が輸入されるようになり、農家の近くや里山丘陵地に造成された竹林の管理が放棄されるようになりました。
 地下茎から新しい芽を伸ばし貯蔵された栄養だけで短期間に高く伸びる性質をもつタケは、樹高が十数メートルしかない里山や二次林などには侵入すると、ひと夏の内に既存の樹木の上に葉を広げることができます。タケの陰になった既存の樹木は衰えていき、そのうちに竹林に取って代わられます。そして自然の力でその土地の気候にあった自然性の高い、多くの生物種が生息する林相に向かって推移していこうとする生態遷移を完全に止めてしまい、遷移の方向とは逆行する竹林という単純な林相を作って長期に安定してしまいます。竹林になってそのまま放置されると細いタケが密生する文字通りの竹薮になり、林内は暗くなって中に生育できる植物種は限られてしまい、生物の多様性は極端に低下します。
 虹屋のタケノコは「自生」物ですが、このように管理が放棄された竹林に再び手入れをするという効用もあるのです。
 


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