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英国水道最大手が破綻秒読みに-02-2024/04 [日々の雑感]

英国の水道の歴史


 ジュリアス・シーザー(カエサル)は紀元前 55 年と紀元前 54 年の 2 回、英国ブリテン島・ブリタニアに侵攻した。紀元後AD43年、ローマ皇帝クラウディウスの時にローマ軍の遠征を受け征服され属州となった。

 当時は湧き水・川・井戸から水を汲み上げていた。ローマ帝国は統治のためロンディニウムLondinium(現ロンドン)など諸都市を建設し広範な道路網を構築した。多くは今日でも使用されている。上水道は貯水池・蛇口・金属の水道管・各家庭への温冷給水・手動式ポンプなどから構成される複雑な仕組みで作り上げた。

イギリスローマ人バストイレ.jpg

 内乱や西ヨーロッパに侵入するゲルマン諸部族の脅威により、ローマ帝国の支配は、ブリテン島のさまざまな地域で、さまざまな時期に、380年代から550年代にかけて終わってしまった。

 上水は昔の方法・湧き水・川・井戸に戻ったが、ローマ帝国が造った上水道の技術は、その後2000年にわたる水道の基礎となった。1800年頃、19世紀に入ると産業革命によって水の需要が増え、より効率的な上水の供給が必要となった。

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英国水道最大手が破綻秒読みに-01-2024/04 [日々の雑感]

1979年5月4日~ 1990年11月28日の英国サッチャー政府の下で、電話、ガス、空港などの公共インフラと上下水道は一九八九年に民営化された。当時、水道公社は赤字であり、老朽化した水道インフラの改善・更新する資金が枯渇していた。イギリス大蔵省は水道料金の値上げし利用者の負担を増やし、老朽化した水道インフラを更新・改善する資金を出そうとしてました。
 第二次世界大戦後、イギリスでは経済の国有化が大規模に始まり、国有企業のみで 1979 年にはGDPの約 10%を占め、150万人を雇用するようになっていた。国有企業の赤字と社会保障制度の赤字げ財政難が続き、1960~70年代を「イギリス病」という経済停滞に陥った。 その原因を戦後の完全雇用をめざす「大きな政府」政策による社会福祉などによる出費の増大に求め、「小さい政府」を目指し歳出削減や福祉切り捨てなどの政策をとり停滞から抜け出すとしたサッチャー政府が1979年に登場した。

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