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皇軍の兵士らは買春できたのか?(2013/05) [日々の雑感]

 2013/5/21プログの再録
 
橋下徹・大阪市市長の発言が取りざたされているが、戦時の大日本帝国軍(皇軍)の行為を『売春』か否かという論議の枠組みには、違和感を覚える。皇軍の兵士らのやったことを「売春」という論議枠で言うなら「売る春」ではなく「買う春」の買春である。私は、皇軍兵士らは日本領土外では買春は不可能であったと考える。

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海外旅行がそうであるように、日本国外でのサービスの消費は相手国側の輸出で日本の輸入になる。だから、そこでの支払いは、マイクロな国際決済。

山本有造氏の論考『「大東亜共栄圏」と日本の対外収支』によれば、皇軍兵士らの給与など軍事費関係の臨時軍事費特別会計が日本の国庫からの送金から、昭和18・1943年4月に現地金融機関からの円での政府借上げに変っている。満洲中央銀行券(満銀券)中国聨合準備銀行券(聯銀券)蒙彊銀行券(蒙銀券)南方開発金庫券(南発券)を政府借上げで調達することにし、同日に、各種軍票の発行を停止している。軍票を経済的裏づけは、円・日本銀行券。現地金融機関からの借上げも円が裏づけているのだから、円が「大東亜共栄圏」で国際決済で使われたのかが焦点になる。

『たびたび蔵相の声明にもある通り、大東亜圏の決済機構は東京を中心とする多角的清算方法で行きしかも「円」がその決済通貨となることはわが政府の基本方針であることは周知の通りでありまた圏内各地域において発行される通貨が金乃至ドル、ポンドなどの外貨の覇絆から脱却しただ「円」との関係において安定した通貨であることを目指した管理通貨制度を建前とするものである。』 大阪毎日新聞 1943.1.26(昭和18)

現在の日本の円の信認は、国際収支の黒字の累積、それをもたらした日本の生産力で裏付けられている。当時はどうであったのか。

『太平洋戦争前1938(昭和13)年の日本(本土)の外国貿易を概観すれば,同年の対外輸出は2,690 百万円,対外輸入は2,663 百万円であったが,うち(のちの)「大東亜共栄圏」輸出に当たる部分は1,384 百万円(51%),その輸入は998 百万円(37%)に止まり,対「第三国」輸出入がなお主流であったことが知られる。それが1943(昭和18)年には,輸出総額が1,637 百万円,輸入総額が1,924 百万円と急激な貿易縮小が起こったのみならず,対「大東亜共栄圏」輸出が1,607 百万円(99%),同輸入が1,785 百万円(93%)と,対外貿易が対「大東亜共栄圏」交易に完全に変身したことが知られる。

要約すれば,1938 年から1943 年の間の対「大東亜共栄圏」交易は輸出が微増に止まったのに対して,輸入が激増し,その結果「大東亜共栄圏」諸地域に対する貿易赤字は激増することになった。・・1942(昭和17)~ 1945(昭和20)年度の約4 年弱の期間を通じて,交易収支の入超は累積額で1,203 百万円。』 「大東亜共栄圏」と日本の対外収支

日本からの占領各地「大東亜共栄圏」への生活必需品などの供給・輸出という経済的力量では、輸入も賄えない。まして貿易黒字で調達した資金で行われる軍事費は、到底出せない。

当時は、国際決済は最終的には金で決済されていた。日本銀行の金準備、円・日本銀行券の信認を裏付ける最後の砦の日本銀行の金準備にも手を付けざるを得なくなっている。それが表に出ないように会計処理、経理操作したさまは、日本銀行百年史に詳しい。 結局、30%も減っている。

このように円が揺らいだので軍票も揺らぎ、二進も三進もいかなくなったので、打ち出した目晦ましが、日本政府借上げで調達する満洲中央銀行券(満銀券)、中国聨合準備銀行券(聯銀券)、蒙彊銀行券(蒙銀券)、南方開発金庫券(南発券)での軍事費支出。信認を、日本からの占領各地「大東亜共栄圏」への生活必需品などの供給・輸出という経済的力量によらず、皇軍など暴力装置により調達している円と現地金融機関の銀行券は、経済的には幽霊である。

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『輸入物資の獲得および占領軍経費の現地調弁のために「現地通貨」の調達を行い,その結果として相手側に巨額の円預金または円貨債権の累積を強いることで解決したものであった。・・巨額の不換紙幣が注入された結果が,恐るべき紙幣インフレを引き起こすことは理の当然であった。暴力的装置の円環的波及は,戦時インフレの波紋を円環的に広げることになった。1941 年12 月を100 とする物価上昇率は1945 年8 月において東京で154,バタビア(ジャワ)で3,197,メダン(スマトラ)で3,300,ラングーン(ビルマ)で実に185,648 であった』 「大東亜共栄圏」と日本の対外収支


石油や生ゴムなど戦略物資の調達は貿易(交易)外の軍直轄の「買取貿易」として行われ、決済も臨時軍事費特別会計中の「物資交流特別諸費」によって行われている。軍が直轄でおこなう現地金融機関の銀行券での買取であり、輸入ではないと処理されている。輸入なら日本の輸出代金か金で決済しなければならないが、それを逃れている。だから、円・日本銀行券や現地金融機関の銀行券を仲立ちとする生ゴムや石油と大日本帝国産品との交換ではなく、それら銀行券で粉飾された強奪、略奪である。

皇軍の兵士らのやったことも、円などの経済的力量から円などを仲立ちとする交換行為・売買春としては成り立たちえない。誰がミルミルうちに減価する現地金融機関の銀行券や円を欲しがるのだろうか?単純に言えば、米ドルなら欲しくてベトナム戦争時のタイのように売春=供給が現れるが、当時の日本円では、欲しがられないので売春がでてこない。従って、買春できない。兵士ら個人の意識では、円や現地金融機関の銀行券を手にしての、日本本土であった売買春(交換行為)と同じであったでしょうが、客観的にはそれら銀行券では決済が望まれていないので、粉飾された強奪、略奪。

日本本土であった売買春では、前借・借金で女性を調達し、拘束していますが、占領各地「大東亜共栄圏」では前借・借金をさせても戦時インフレ・紙幣インフレで実質減額しますから、女性を売買春に縛る道具にはならない。となれば、女性の調達・拘束に何を手段にできるでしょうか?? 「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげよう(橋本市長)」という聖母のような愛でしょうか?

日本からの占領各地への生活必需品などの供給・輸出ができなかったのは、大日本帝国に生産力が低かった、なかったからです。それは十分な武器・弾薬も生産力がないことにも顕われています。開戦前からそれは分かっていながら、戦争を始めた。大日本帝国の敗戦と経済的には幽霊の円と現地金融機関の銀行券による強奪は表裏のものです。

この愚かさは何によるのか? ともあれ、あの行為を売買春の枠組みで論じること自体が、実相を見ずに観念で思考する愚かさに思えます。


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