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子山羊の里親探し 地獄と極楽は同じコインの裏と表 [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

畑の便り  №03-34 2003年8月19日小針店で印刷・配布したものに加筆
子山羊の里親探し
 新潟県営の畜産施設の場長をつとめる今井明夫さんは、新潟県有機農業研究会の先達で、新潟県ヤギネットワークを主宰されています。過日、埼玉の方から子ヤギの里親探しのメールがあり、それと今井さんの返信が「まきば便り(27)、(28)」で公表されました。それを手がかりに、生物、食物としての生物と人間の関係のとり方を考えてみました。

子ヤギの里親探しのお願い、埼玉県 A.Y 
 新潟県ヤギネットワーク 今井明夫様 
突然のメールで失礼いたします。私は実家で生まれた仔ヤギの里親探しをしています。
 
  私の母が小学校教員をしておリ、子供たちにヤギを通してたくさんのことを教えたい!というのがきっかけでヤギを飼いました。しかし、勤務先の学校ではどうしてもヤギを常時飼うことは許されず、総合学習のために、毎朝母とヤギが「登校」していたわけです。私も母の学校に行ったり、家で総合学習の資料作りを手伝ったりしていたので、「子供たちがヤギから学んだこと」の大きさにはびっくりしました。突然切れる子の性格が治ったり、喧嘩がなくなったという話も聞きました。朝早くから、駐車場でヤギが来るのをみんなで待っていました。そして待ちに待った出産・・・まさに感動、でした。父母も大勢来ました。今年生まれたのはかわいいオスヤギ、3頭。。。
 
  一昨年のメス2頭の時のように、牧場のおじさんに託して、きっといい貰い手がみつかると子供たちも「お別れ会」をして泣く泣く手放した私たちでしたが、おじさんの「オスは貰い手がないから競りに出すしかないんだよ」という言葉に、「ちょっと待って!」と言わずにはいられませんでした。
 
  子供たちは「みんな牧場で幸せに暮らしているんだ・・・」と信じているのですが現実を知った私は、「里親探しをさせてください!何とか見つけますから」と何の根拠も無く、おじさんにお願いしました。
  「こんなむごい現実、子供に言うべきなんじゃないの?考えさせるべきなんじゃない?」と泣きながら母を責めました。今井さんは、どう思われますか。
  埼玉県 A.Y 
 
 yagi-03.jpg
 
山羊は家畜として理解してください、今井明夫
 
長いメールをいただき、どう返事したらよいか考えていました。私達は新潟県ヤギネットワークを組織しています。私達のネットワークには大勢の獣医さんや、学校関係者、学校飼育動物を支援している人たちがいます。あなたと同じ心配をする人たちもたくさんいます。結局、私の持論をそのままお伝えした方が良いと思いました。
 
  神奈川で学校の先生をしているお母さんがヤギを飼っていて、子供達にふれあい体験をさせたくて小学校に連れて行く、そのこと自体を批判するつもりはありません。ただお母さんが子供時代に飼っていたヤギはふれあい体験が目的ではありませんでした。家畜として家族にミルクを供給し、子山羊は肉畜として肥育されて、お正月の貴重なごちそうになり、毛皮はなめしやさんに頼んでチョッキになりました。ウサギもニワトリも同じで世界中どこの国でも家畜とはそうしたものです。寝食共にして暮らしても人のために生命を提供してくれます。
 
  分娩して子山羊を生まなけれぱミルクを飲むこともできません。子山羊は雌だけでなく、雄も遺伝的間性も生まれてきます。交尾させて妊娠させ150日後に生まれてくる生命の行く未について子供達に説明できないのなら避妊すべきです。
 
  いのちの教育とは生きている動物とふれあって可愛がれぱ良いというのではありません。人と家畜の係わり、人が家畜のいのちをいただいて生活していることをきちんと理解して子供達に話してやることが必要です。
 
  人は生きている家畜を殺して肉をいただき、皮をいただいているのです。  Yさん、あなたは牛乳を飲んでいますか、雄牛は優秀な血統のごくわずかな頭数が生きて精液を提供します。そのほかは去勢(睾丸摘出)して肉として肥育されます。牛乳の生産ができない牛は淘汰され、肉になります。20数ケ月で700kg以上になると屠殺されて食卓に供されます。牛乳を生産するということは子牛を生ませるということであり、子牛をどうするか前もって決めているのです。
 牛乳を飲むことも、牛肉、 豚肉、鶏肉を食べることも「 家畜を殺す」ということを理解 していなければ、できないこと なのです。
 
  私達は新潟県ヤギネットワークを組織しています。県内に8支部があり、飼い方の指導やヤギの入学、卒業、種付け、分娩の相談に応じています。  飼育する学校では通年して飼うこと、都合の良いときだけの貸し出しはしないこと、種付けして分娩させることを原則にしています。子供達に動物のライフサイクルを理解させ、人が家畜のいのちをいただいて生きている傲慢な動物であることをきちんと話します。
 
  低学年の生活科教材として飼育する場合でも同じです。オスヤギの里親を探したとしてもほんの一時のあなたの気休めでしかないのです。もらわれた先で飼い続けることができなけれぱ処分されます。 あなたへの説明になったかどうか判りませんが、理解して欲しいと思います。
 
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弱肉強食だけだろうか?  虹屋
 
人間がいただいている命は、家畜だけでなく、穀物、野菜や魚などの様々な生物を食べています。これは、人間に限らず、動物は全てそうです。植物は太陽の光を葉に受けて、光合成で様々な栄養素を作り出せる独立栄養ですが、動物はそれを横取りして生きる従属栄養です。植物の命をいただいて生きています。
 
  植物とて、陽光をめぐって争っています。より高く伸びより広い面積を占め多くの陽光を浴びようと争っています。その時の気象条件に合ったものだけが繁茂します。成長速度の遅いが、より少雨でも生育できるものやより低温でも生育できるものなどは日陰になり芽生えても育つことが出来ません。結果的に淘汰されてしまいます。つまり、現在は非常に繁栄しているが、乾燥や低温などの環境変動には脆弱になってしまいます。ですから、現在繁茂している個体を取り除いて、成長速度が遅いが様々な形質をもった個体が生育し種を残すようにすることが長い目で見れば有利です。草食動物がまさにその役割を果たします。
 
  しかし、植物と草食動物だけでは草食動物が植物を食い尽くしてしまうことが起こります。そこで草食動物を淘汰する食べる動物、肉食動物の役割はそこにあります。植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べる食物連鎖です。個々の捕食関係を見れば弱肉強食ですが、捕食者がいた方が環境変動にも強靭な、長期的に有利です。生態系・生物圏全体で見れば多種多様な生物種で構成され、強靭で生物の量、バイオマスが多いくなります。多種で多数の弱肉強食関係があるほうが、緑なす豊穣な大地です。地獄と極楽は同じコインの裏と表です。
 
  人間は、生態系で占める立場は最高位、我々を食べる動物はいません。ライオンなどの肉食動物との違いは、ライオンは餌となる鹿などを全て殺す能力を持ちません。鹿の群れを襲っても捕らえることが出来るのは、病気や老衰などで弱った個体です。群れ全体を殺す能力を持ちません。しかし人間は持っています。またライオンは空腹の時にだけ必要なときにだけ捕食します。しかし、人間は慰み、楽しみで他の生物を殺しています。食べなくても他の生物を捕らえること、殺すことに慰み、楽しみを感じる生物です。つまり、人間はオーバーキル、過剰な殺戮を行う能力を持ち、それへの本能的な歯止めを持たない捕食者です。したがって、後天的に、過剰な殺戮への歯止めを獲得しなければなりません。そうしなければ、鹿を殺しすぎたライオンのように困り、生態系・生物圏全体で見れば貧弱化することに成り、安定性を損なうことになります。
 
  山羊などの家畜は、人間が食べるために飼っている動物、餌を与え、繁殖をコントロールしている動物ですから、「今年生まれたのはかわいいオスヤギ、3頭」を食べなければ、他の個体を殺すことになります。目の前の「かわいいオスヤギ、3頭」の代わりに死んでゆく、殺されていく食べられる生物の命はオスヤギより軽いのでしょうか。それでは食べる必要がなくとも他の生物を殺す性向に、歯止めがありません。
 
  除草剤や殺虫剤などの農薬も同様です。江戸時代には「上農は(雑)草を見ずして草をとる」つまり雑草が一本も生えていないようにすることが理想でした。害虫も、病気も一切ないのが理想でした。作物以外は一切いない田畑が理想でした。つまり、除草剤を使い田にも畦にも雑草が生えていない今の水田は、上農ばかりの理想郷です。殺虫剤や殺菌剤を使い虫などを皆殺しにするのは当然の帰結です。
 
  しかし、その結果、何が起きたでしょうか。起きているでしょうか。残留農薬や河川に流れ出したものによる飲料水の汚染による人体への傷害。また朱鷺は絶滅しようとしています。蛍も少なくなりました。メダカもそうです。つまり、オーバーキル、過剰な殺戮を行うことへの本能的な歯止めを持たない性格そのままの農薬多投の農法では、生態系・生物圏全体が貧弱化し、安定性が損なわれます。「沈黙の春」はそれへの警告です。その反省から生まれた運動が、有機農業運動であり、減農薬栽培であり、天敵を利用し農薬を必要最小限にしようという総合的防除の思想です。
 
  蛇足ながら、またライオンは同族同士が縄張りなどで争っても、相手が負けを認めて逃げ出せば相手を殺しません。同族争いはしますが同族殺しはしません。人間は、同族殺しをします。ヒットラーのやったホロコースト、山本五十六が始めた都市空襲(生産力破壊を目的とした非戦闘員の殺戮)、米国のアフガニスタン、イラクへの戦争など殺傷手段は高度化していますが、それがオーバーキル、過剰な殺戮にならないようにする歯止めは高度化しているでしょうか。私は、他の生物種への過剰殺戮への反省から生まれた有機農業などの進展が、人間同士のオーバーキルへの歯止めの形成に役立たないかと願っています。

2003年8月19日印刷・小針店で配布したものに加筆



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