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搾油の工程、やり方(1)長木(ちょうぎ)式、油搾木(あぶらしめぎ)式 [油脂ー搾油、栄養、コレステロール]

一般的なやり方。
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通常の搾油工程は,原料の搬入→選別(ふるい分け)→圧ぺん(押しつぶす)→クッキング(蒸し煮)→圧搾(一番搾り)→二番搾り・抽出(ノルマルヘキサン・石油から作られる有機溶剤使用)→原油。

圧搾(一番搾り)ででる搾り粕にノルマルヘキサンを加え油を吸い取ることで,残った油分の99%以上を抽出しています。
常温では無色透明で、灯油の様な臭いがする液体です。 MSDS化学物質安全性データシート
68.7℃で沸騰し揮発し易いので、加熱除去される手順です。万が一飲み込んだら「口をすすぐこと。吐かせないこと。医師の診断、手当てを受けること。 」「動物試験ではラットに反復しての吸入または経口ばく露による所見として、末梢神経障害、神経行動学的影響、脛骨神経の軸索変性、後肢脱力、神経伝達速度低下などが記録され、その多くがヒトの症状と共通している。」

次の精製工程では脱ガム(泡立ちの原因となるレシチンを除く。リン酸・シュウ酸使用)→脱酸(遊離酸を中和するため水酸化ナトリウム・苛性ソーダ使用)→脱色(活性化した粘土・活性白土使用)→ろ過(活性白土を除去)→脱臭(高温蒸気または電熱加熱)→クエン酸添加(さっぱり感を出す)→再ろ過→製品(サラダ油)となります。業務用として使う場合は、さらに泡を消すためのシリコーンを添加します。日本の規格では、カセイソーダ、シュウ酸の表示義務はありません。

様々な化学物質、熱を加え、中和や冷却、除去操作を行います。その時の温度や時間によって、トランス脂肪酸ができたり(異性化)、化合結合して高分子化(重合)します。また、残留が起こります。それをコントロールして、安価に搾油・精製しています。

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虹屋が扱っている鹿北製油、米澤製油、平田産業などの搾油法は、これとは違います。

植物油はお寺の精進料理で脂分を補う意味で使われてきました。また灯明の明かりをともすために油はとられました。
1371915147.gifその搾油法は貞観年間(西暦800年代半ば)に山崎離宮八幡宮の神官が発明したといわれる「長木(ちょうぎ)式」圧搾です。

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江戸の初期に油を搾り取る搾油法の技術革新が起こります。それは「矢締め式」「油搾木(あぶらしめぎ)式」です。先ず、下図のような前処理、<干す→炒る①→人力で碓(うす)を踏んで粉末にして何度かふるいにかける②→蒸篭で蒸す>をします。蒸して、水分共存下での加熱処理でタンパク質が凝固し、油分が容易に通過し、搾油歩留まりが向上します。


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その潰し蒸したナタネを臼に入れます。下図
その臼は、搾木(しめぎ)を通した2本の立木(たつぎ)の間にあり、金輪を重ね立桟(たてざん)をはめ、その上に正當石(しょうとういし)を置き、その上から搾木(しめぎ)で菜種に押しています。
搾木と立木の間に矢というクサビを打ち込んで圧力をかけて、油を搾り出します。

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でる搾り粕は、碓で砕き炒り再度絞られます。油垂口(あぶらたれぐち:ナタネ一石からどれくらい油が絞れるかの割合)は、『製油録』(1890年大蔵永常)によると、菜種の歩留りは、土地の良い所で2割5分、土地の悪い所でも、 1割7分から2割。荏胡麻は1割5分から1割9分。胡麻は、1割7、8分から 2割5、6分。いずれの場合も、土地と肥料によって、その歩留りにはかなりの優劣がついていました。大阪がかなり高い技術をもっていて、粕を安く買い取って、さらに3度目絞って商売にしていたそうです。(江戸時代 人づくり風土記 兵庫版 P119、農山漁村文化協会)

「菜種(胡麻)の油と百姓は、絞れば絞るほどいずる物也」
(享保期の勘定奉行神尾春央の言葉とされる)

明暦(1655~1658年)の頃には、長木によるものから、搾木(しめぎ)すっかり切り替わったそうです。搾られた菜種油は、きれいな黄金色で大きな甕に静置し上澄みをすくう精製処理をされました。静置の間にロウ分(固形成分)が沈殿し、アブラナ科の特徴であるからしの様な香りが飛びます。

明和七年(1770年)頃には、攝津国武庫莵原八部三郡(鳴尾・今津・西ノ宮・深江・魚崎・御影・東明・新在家・大石・脇ノ浜・二ツ茶屋・神戸・兵庫)のいわゆる「灘」では、六甲山系の谷水を利用した水車を使って、粉にする水車搾りが盛んになりました。 
人力で碓(うす)を踏んで粉にしていたところを、水車に「同搗(どうづき)」という押しつぶす道具を仕掛けて粉にするので、大いに手間・労働力が省けます。搾った油の品質は変わらないが、人力では5人体制で菜種を一日に2石も搾れば良い方だったが、水車を使えば3石6斗も搾ることができた。採算性の良さで水車に及ぶものはなかったそうです。灘では、菜種油のみならず、水車搾りにより、おびただしい量の綿実油を生産しました。

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明治になり油圧で下の菜種の入った臼を押し上げる玉締め法(玉搾り)がでてきます。 続く

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