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2001年は自分以外の"いのち"との付き合い方、関係のとり方が問われた年でした。 [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

畑の便り  №02-02 2002年1月8日小針店で印刷・配布したもの

2001年は自分以外の"いのち"との付き合い方、関係のとり方が問われた年でした。
   9月の同時多発テロ以降、「敵か味方か」、「敵は、殺せ、やっつけろ」という風潮が世界を覆っています。ニューギニアなどの”未開”部族は、成人男子の戦士たちが石器の武器で境の地域で戦闘をします。女・子供がこの戦闘で殺されることはありません。「敵のやっつけ方」では、テロリストは言わずもがな、米国の報復戦争も、非戦闘員の女・子供を無差別に殺傷します。IT革命の社会は、石器時代よりも”野蛮”ではないでしょうか。
 
 [敵か味方か」という二分法は変幻自在・伸縮自在。首謀者とされるビンラッデンを13年前のレーガン大統領は「その徳において米国建国の父たちに匹敵する」と褒め称えていました。「敵か味方か」という二分法は最も縮まると、自分以外の周りの人々は全て敵ということになります。敵に対しては、先ほどののように、どのような野蛮な暴力行為をしても良いのなら、自分以外は全て敵という精神状態の子供らの「他人を殺して、何故、悪いのか」という問いに、どのように答えることができるでしょうか。
 
 少年法の改正のように罰則を強化するという回答もあります。対症療法で、根本的な答えにはなっていない。まず、自分の命も、世界貿易センタービルで死んだ人の命も、米国の爆撃に巻き込まれ死んでゆくアフガニスタンの子供の命も、命の重さは同じだという感覚を子らに持たせることではないでしょうか。
 
 ここまでは人間での話ですが、食も自分以外の"いのち"との付き合い方が問われる処です。動物や植物の命をもらって人間は生きています。なんと理由を付けようと人間が動物や魚や穀物などを食することは、間違いもなく命あるものを殺すことに他なりません。
 食物となる生物の命を、いわば、道具と見る、鶏は卵を産む道具、豚は肉を作る道具と見なすことが一般的です。道具なら未使用=食べ残しを如何に作ろうと自由ですし、草食動物の牛に肉骨粉を食べさせなど道具をより効率的に使うのは当然です。ですから、狂牛病は当然の帰結です。
 次に紹介するのは新潟県の新潟県妙法育成牧場場長の、今井明夫さんのまきぱ便り(8)の要約です。
 
 家畜の”いのち”をいただく :今井明夫
 
 昨今、いろいろな場所でさまざまに農と食、そして健康とのかかわりが論じられている。そのひとつとして学校教育における
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家畜飼育がある。私は畜産に関係する仕事に就いていることから、15年間、新潟県内の小学校に山羊をお世話して飼育指導を行っているが、家畜と人間の関わり、人間に食を提供するために家畜を殺して命をいただいていることを子供達とその父母達に理解してもらうように努めている。牛や豚は大きすきて飼育が難しいことや、鶏では哺乳動物のライフサイクルを教えることかできないので山羊が手頃である。山羊は1年で成長して妊娠し、交尾の150日後には子山羊誕生となる。2ケ月間哺育して離乳させ、雄の子山羊は卒業して肥育農家へ渡されるのである。子山羊の卒業式で、子供達には人間の食料となるために肥育され、と殺して食肉に解体されることをよく説明し、肉や畜産物を食べるときに決して粗末にしないよう教える。
 
 昨年11月13日付け朝日新聞に、秋田県の小学校で食用鶏の「比内鶏」を飼育し、農業高校で解体処理したあと学校でカレーライスに調理して食ぺる予定だったが、一部保護者からの批判の声を受けて町教育委員会かストッブをかけたという記事を目にした。
 学者のA氏は子供の人格形成に悪影響を与えると言い、またB氏は本来、命の大切さは子供達が主体的に自然に学ぷものだと言う。家畜は愛玩動物ではないことを両氏とも理解していない。
 食肉として店に並んだものや畜産加工品、調理済み食品は遠慮なく贅沢にたぺて、残した物を大量に廃棄する。こんな生活をしている人たちが命の尊さをどうやって子供達に教えようというのか。家畜と人間の関わりをしっかりと学校で教えるぺきである。」
以上要約 
 
 人間に限らず全ての動物は、他の動物や植物の命を奪って生きています。植物も個体間ではより多くの陽光を求め競争しています。弱肉強食ですが、その結果、強者だけになっているでしょうか。生物界はミクロの場面では弱肉強食ですが、全体ではより多種多様な生物が数多く生きるようになっています。
 食や農においても、より多種多様な生物が数多く生かすことを目指すべきではないでしょうか。そして、その志向性は、人間間でもより多種多様な文化、人々が共存する世界を導くというのは希望的観測??
 
2002年1月8日小針店で印刷・配布したもの 


農村の有機農業運動を都会が後押する形へ [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

畑の便り  №00-04 2000年1月17日小針店で印刷・配布したものに加筆

農村の有機農業運動を都会が後押する形へ
現有農地の活用を
 
  これまでの石油を原料とする合成化学物質に依存した生産活動の問題点が環境ホルモンに代表されるように見えてきました。今後はその問題をクリアする方向でなければなりません。稲作農家でも、農薬に依存しない栽培技術でなければならないという意識が出てきています。企業サイドでも、天然資材を使用する技術も出てきました。農家側がそういった「与えられた代替技術」ではなく自分たち自身が取り組みを進めて身近な部分から技術開発してクリアしていくという方向で、県内でも、全国でも色々な取り組みが見られます。今までの除草剤を1回使用した自称「有機栽培」から、除草剤も使用しない稲作技術の確立をめざして全国的に運動が広がっています。新潟県有機農業研究会もそれをテーマに一昨年勉強しましたし、農業試験場でも取り組んでいます。
 
 そのようにあちこちで行われている取り組みを運動として進めていけばよいのですが、しかし農村では今、後継者不足、高齢化などで非常に体力がなくなっています。何かひとつ間違えば日本農業は崩壊しかねないとの危険な側面もあると思います。農村側の運動を、都会側が後押ししていく形の有機農業運動にしなければならないと思います。
 
有機の認証について
 
 現状は、除草剤1回使用とか減農薬でも「有機」の名を冠した商品が氾濫していますが、特定JAS法の改正により有機認証を受けない商品は「有機」の表示はできなくなります。大きく変わることになりますが、ただ認証についてはWTO体制であらゆる面で国境がなくなり外国との整合性が求められ、食品添加物や有機農産物なども国際基準で仕切る対象の1つとなっています。日本での有機基準と認証の法制化も米国などが輸出しやすくする国際的な動きの中で、それに対応したものという性格もあります。(この文章は2000年1月17日小針店で印刷・配布したものの再録)
 
 日本での有機認証は現在、行政が先取りした形で自治体リードで進められており、新潟県も一昨年制度化しました。認証ビジネスは民間でも行われていますが、その実態は農法の転換などとは関係がなく、認証ワッペン販売的な方向で動いています。
 
 一般市場に氾濫するニセモノ「有機」に苦い思いをし、法的な裏づけを持つ有機表示制度を求めてきた有機農家でも実態が明らかにになったんつれて、疑問がでてきています。有機の認証を得るためには1品目70-80万円ぐらいかかるともいわれて多品目少量の有機農家には、非常にコスト高になりそうである。具体的な認証作業が非常に難しくデータに基づく方向になりそうで、有機農法への転換などとは関係がなく、本来の有機農業運動とは異なるようであるなどです。そんな中で、流通サイドは商売がしやすくなるということで、認証を急ぐことを求めています。
 
 今後私たち有機農家は認証を受けるのか、それとも特定の消費者とお互い了解の上で提携していくのかを選択せざるを得ないことになりなります。いずれにせよ、有機という呼称は軽々に使えなくなります。
 
「自分の食べるものは自分で作る」、自給の考え
 
 要は、日本の食糧自給率が低く輸入食料に頼っていることで、認証や遺伝子組み換えの問題が出てきているのです。私たちは、今後の生活と農業のあり方を考えるとき食糧は自給するということと一体的な問題として考えなければならないと思います。
 
新潟県有機農業研究会会長、鶴巻義夫
 (99年7月研究集会挨拶より 虹屋が編集)
現有農地の活用を
   虹屋は日本の現状では1億2千万人を養うに足る食料を100%自給するのは無理だと考えています。ただし①外食産業やコンビニ弁当の破棄などで約1割の食べ物が手もつけられずに捨てられている。②輸入の大半を占めるのは牛や豚などの飼料。これらは人間の食べ物でもある。食糧不足が世界的に深刻化するであろう将来、人間の食べ物を牛や豚に食べさせるために輸入することは難しくなるだろう。また牛賑や豚賑を多食する食生活が様々な病を日本人にもたらしている。食生活の改善という面からも牛・豚賑の消費減少=輸入飼料の減少は行なわれるだろうし、行なわなければならない。③世界的食糧不足が心配される中で将来に備え、祖先が営々と築いてきた農耕地を、地力を高めて子孫に渡すことが肝要では?
 
化学肥料のみに依存する農法は土地を瘠せさせ地力を低下させる。農薬を多用・常用する農法は、環境汚染はむろん、農耕地という人工生態系をよりいっそう貧弱にする(天敵を殺すなど)もので潜在的に不安定性を増すという点からも持続性が乏しい。
 
 こうした諸点を考えると、現在の農耕地を有機農法で耕作し、獲れる作物で賄う食生活つまり和食型に需要構造を転換することで、イギリス並みの自給は可能だし、しなければならないと考えています。
農業でも生産だけやっていればよいという時代ではなくなっています。
 
畑の便り  №00-04 2000年1月17日小針店で印刷・配布したものに加筆 


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立春正月と節分の厄払い [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

畑の便り  №07-3 2007年1月15日小針店で印刷・配布したものに加筆

 旧暦の太陽太陰暦では、元旦は立春に近い新月(月齢(満ち欠け)は0)の日です。月はお月様の満ち欠けで決まり、年は太陽の運行で決めているからです。日の一番短い冬至、一番長い夏至、昼夜同じの春分、秋分でこれで1年が4分され、そしてこれを2分すると、それぞれの中間点が立春、立夏、立秋、立冬の四立(4大節気)となり、四季の区切りが生まれます。節分は、現在では立春の前日をさしますが、もとはそれぞれの季節がおわる日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日をいいました。(さらに12ヶ月と組み合わせるため、いまの8等分をそれぞれを3分すると大寒、啓蟄といった24節気が得られる。正月は、正確には立春から約15日後の雨水がある月。)

冬至正月と太陽暦
一年の穢れを祓う豆まき
福も呼びたい

陽暦と冬至正月

  学校の新学期は4月ですが、年の初めを何処に置くかは、ある意味任意です。中国では前漢の時代まで冬至(12/22頃)のある月が正月でした。日本の天照大神が太陽神であるように農耕では太陽・日照が重要ですから、冬至は太陽の死と復活を意味する重要な区切と観念されたからです。ローマ時代のシーザーが定めた暦では春分(3/21頃)で区切っていましたが、当時の古代のローマでは、冬至祭を行い、また冬至から3日後の12月25日に太陽神が復活するという宗教(ミトラ教)が隆盛で、冬至から25日までローマあげての祭りの期間でした。その後キリスト教がミトラ教にとってかわりますが、そのときミトラ教の祭日12/25もキリスト教の祭日=キリスト生誕の日 として受け継がれました。そしてキリストがユダヤ教の割礼を受けた生誕(12/25)から8日目を1月1日にして、年を区切るようになりました。これが、現行の太陽暦の原型です。

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一方中国では、前漢の武帝の時代、立春を境目とする暦が採用されます。太陽が最も衰える冬至の次の季節の節目=立春が、太陽の復活を意味すると観念されたのです。中華文明の栄えた黄河流域では、これを過ぎる頃から雪が雨水となり冬の終りが感じられます。年賀状に「初春のお喜びを申し上げます」と書くのは、この旧暦の正月のなごりです。この中国の暦が日本に伝来し、使われてきました。

1年の穢れを祓う豆まき

 立春の前日の節分は、一年の終りの日になります。こういった区切りの時に、それまでの悪運や穢れを祓うことが古来、日本では行われてきました。正月には宝船の絵を飾る習俗は、民俗学者の折口信夫によれば、本来は大晦日の夜に枕の下に敷いて、過去一年のヨゴレ、穢れを載せて流した厄払いの船だそうです。悪夢を食べる獏が書かれているのも同じ意味で、こうして悪夢、穢れが大掃除されさっぱりして見る夢が初夢。

 節分の豆まきなども同じ、まず豆で身体をなで過去一年のヨゴレ、穢れを豆に付け、ケガレた神である鬼に投げ鬼にケガレを持って帰ってもらうのが本義。穢れがなくなった豆は、一転して清浄な物になりますから、それを食べて取り込むわけです。

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平安時時に中国の道教、陰陽五行による厄払いと迎春の民間習俗の「追儺」(ついな。「鬼儺」おにやらい、とも言う)が伝わり、大晦日に行われていました。方相氏(ほうそうし)というおそろしい形相の面をつけた呪師が祓い役ちなり、矛と盾をもって「鬼やらい」と唱えながら、鬼役を内裏の四門に追い回し退散させる儀式です。朝廷では鎌倉時代まで行われていたそうですが、室町時代に民衆化、全国化していきます。「豆まき」は室町時代に京の都に鞍馬山の鬼が出没して悪事を働き人々が困っていたとき毘沙門天のお告げでいり豆を投げつけて追い払ったという伝説が流布して、広まったと言われています。

 しかしながら、中国の鬼は異界の妖怪ですが、日本では鬼は神様です。各地で鬼を、穢れた荒らぶる神として、地獄で苦しむ祖先霊として家に迎い入れおもてなしをして送り返す風習があります。「福はうち、鬼もうち」とにいうところがあります。吉野の蔵王堂では、赤鬼・青鬼など五つの色をした五匹の鬼がオノなどの道具を持ち、信者の悪い所をさわって邪気をとり直すといわれています。東北地方のナマハゲが家に来て、子どもの頭などをかむと元気になるなど、様々な神様としての鬼が心の中に棲んでいます。

福もよびたい

 さて、正月の宝船は何時の頃からか厄払いの船から、彼方から財宝を積んで舶来する「宝の入船」に転じます。節分では、近頃はやりの、恵方巻がそれに当たります。節分の夜にその年の恵方(吉となる方角→今年は北北西)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりと良いことが訪れるのだそうです。起源は、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、節分の前日に巻きずしの様な物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事だそうです。一時は廃れた関

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西の風習でしたが、1977年に大阪の海苔問屋さんが販売促進に取り上げ、ご存知のように複数のコンビニで売り出して復活した習俗です。宝船に七福神が乗っているように、恵方巻きの具材は何でも良いそうですが、七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ、等の七種類の具を入れるのが良いとされています。昔ならこの時季に無いはずの胡瓜があるのが、いかにも現代的ですね。
 こうしてみてくると、全く合理的でない呪術や儀式ですが、不要なものでしょうか。こうした非合理な「聖」の世界は不要でしょうか。例えば、人を殺してはいけないという禁令は、合理・理屈では裏付けられません。正月から悲惨な殺人事件が伝えられていますが、刑罰の重罰化という合理的な世俗的な措置でどれ位防げるでしょうか?見つからないなら、刑罰よりも大きな利益が得られると判断できるのなら、殺人を犯すほうが合理的です。国家が命じた殺人、戦争では、殺さないと命令違反で罰せられます。殺人の禁止は、理屈だけ言葉だけで説明できない言語道断な禁令であり、非合理な「聖」の世界に根拠を置くしかないのではないでしょうか?

 非合理な「聖」の世界に入り浸っていると、オウム真理教のようなことになりねません。私たちのご先祖が考えたのは、節目のたびごとに多くの神が住まう「聖」の世界と交流し、穢れを祓い、同時に「聖」の世界から来る神や祖霊が運んできてくれる新たな生命の息吹きで魂の再生・更新をはかる儀式、祭をおこなう、聖と俗、非合理と合理の世界を行き来きすることです。

節分は、1000年以上も日本では年の変わり目、節目でした。この節目に、大いに厄払いをしませんか。?

畑の便り  №07-3 2007年1月15日小針店で印刷・配布したものに加筆

 


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動物たちの肺 [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

翼開長70cm程度のトンボなど巨大な昆虫がいた約3億年前の石炭紀の酸素濃度は約35-31%(現在の約1.5倍)。

昆虫には肺がありません。ほとんどの昆虫は、気門という体側の穴で大気を取り込んで気管というチューブで隅々まで届ける構造です。この効率の悪いやり方ですと、身体がより大きくなるに従って、気管が身体の大きさに対してより多くの場所を占るようにしないと代謝がうまく進みません。
そうすると肝心の他の器官が存在する場所が減少します。酸素濃度が現在の約1.5倍もあるなら、気管の割合を小さくしたままで巨大化できます。研究では、現在の酸素濃度だと甲虫の最大体長は15センチぐらい、現存する最大サイズもそれ位だそうです。




鳥類、エヴェレストの頂上を超えていく鳥たち。鳥類の肺は、我々哺乳類に比べてはるかに効率的です。これは鳥類のご先祖は、酸素濃度が約10%程度の時期に現われています。その呼吸、大気中の酸素を取り込む器官は、現在の鳥類で説明すると、大気を取り込む気管は、分岐して最終的に並行して走る肺管と呼ばれる細かい管になります。これが肺と同じく大気中の酸素を取り込みと血液中の二酸化炭素を排出するガス交換の場です。この肺菅の前後に気嚢という袋状の器官が付いています。


 鳥が息を吸うと、吸気は二つコースに分かれます。一つはそのまま肺菅に行く、一つは後胸と腹の二つ気嚢にむかい蓄えられます。そのまま肺菅にいった呼気は、ガス交換をして酸素が薄くなり二酸化炭素を多く含んだ排気となり頸、鎖骨間、前胸の3つ気嚢に蓄えられます。排気で気嚢が一杯になると、五つの気嚢が一斉に縮みます。

哺乳類だと息を出している時には、肺には新鮮な空気はありません。しかし鳥類では、この時、後胸と腹の二つ気嚢に蓄えられた呼気、酸素を多く含んだ呼気が肺菅に流れ込み、ガス交換をして外にそのまま出されます。次に気嚢が膨らみ呼気が入ってきて、最初のサイクルが廻ります。



つまり、鳥ではガス交換部の肺菅に、常に新鮮な空気が流れていて、効率的なのです。だから、哺乳類であるコウモリは高空を飛ぶことはできないが、鳥類では空気の薄い高空を飛ぶことができます。

恐竜も化石から同様の呼吸システムを持っていたとみられています。これの欠点は、かさが張る、他の臓器が存在する場所が少なくなります。鳥は全身に気嚢があり、これが軽量化に役立っているんですが、これが仇になって一度呼吸器の感染症(肺炎など)が発生すると、全身に広がって重症化しやすい。

置くだけ、首から下げる空間除菌剤の正体 [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

インフルエンザやノロウイルスの流行とともに「お部屋の空気まるごと除菌」「ポンとおくだけ空間に浮遊するウイルス・菌・ニオイを除去!」、付属ストラップで社員証や身分証のように首から下げることで「30日間にわたって付近のウイルスを除菌する」等の除菌をうたった商品が売られています。これは、塩素系漂白剤の次亜塩素酸ナトリウムや二酸化塩素をつかっています。それらが、「食品添加物で使われているから安全」として売られています。

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 これらから出る、塩素ガス、酸素、塩化水素、二酸化塩素は化学活性が強く、付いた物を変質させる力が強いのです。色素に付けば脱色や漂白作用、菌につけば殺菌、ウイルスにつけば蛋白質の外套を変質して感染力を奪います。私たちは、鼻をつくような刺激臭として感知したり、咳き込んで、その場を逃げるように警報を体は出します。ラットの吸入による半数致死濃度(LC50)は塩素は146ppm、二酸化塩素は32ppmです。

次亜塩素酸ナトリウムは最も広く用いられている塩素系殺菌消毒剤で、飲料水、果実、野菜の殺菌から、各種食品製造施設、装置、その他の消毒殺菌に用いられる。漂白効果も強い。

二酸化塩素は小麦粉の改質、漂白に使われています。

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 収穫直後の小麦粒の中では、細胞組織が生きており、小麦粉に含まれている成分を分解する作用がある各種の酵素の活性が強く、さらに小麦粉生地を軟らかくする還元性物質の量も多いので、こういう小麦粉でパンやケーキをつくっても、生地がだれることや、思うように膨らまない。こういう状態の小麦を「新麦性が強い」といいます。

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新麦性は、小麦や小麦粉を保管している間に自然酸化で徐々になくなっていきます。このような小麦や小麦粉の微妙な品質変化を「熟成(エージング)」といいます。 

保管するということは、倉庫などの保管料がかかります。それを節減するために、小麦を製粉する工程で二酸化塩素を加えて酵素を死活したり、還元性物質を変質させるのです。これが改質で漂白作用も顕われます。

使用条件では残留しないよう規定されています。

次亜塩素酸ナトリウムは、皮膚や目に付いた場合は直ちに大量の水で洗い流す使用条件です。首から下げるタイプをつけてお子さんを抱っこしていたら、子供が化学火傷をしたニュースがありました。

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二酸化塩素は、室温で塩素様の刺激臭を持つ気体であり、空気より重く、強い酸化力を持つが、光、熱に不安定で、塩素と酸素に分解します。水溶液の安全性はかなり高いようです。参照 二酸化塩素の安全性データ

気体、ガスでは、ラットの吸入による半数致死濃度(LC50)は塩素は146ppm、二酸化塩素は32ppmです。「混ぜたら危険」ででる塩素ガスより危険性が高い。米国産業衛生専門家会議は、労働時間が8時間/日及び40時間/週の作業環境の基準値は0.1ppmを設定しています。(下表)

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ウイルスを殺す、不活性にする二酸化塩素の濃度は、0.03から10ppmと大幸薬品は言っています。国民生活センターの調査では、この濃度では刺激臭で大半の人が不快になるのです。

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国民生活センターは、室内に置く据置タイプの商品テストを2011年に行っています。


二酸化塩素の放散速度が比較的大きかったタイプ(No.6~8)を、それぞれの経過日数の放散速度から6 畳(24 m3)、8 畳(32 m3)、10 畳(40 m3)の部屋(25 ℃、換気回数0.5 回/h)の二酸化塩素の気中濃度を計算により求めています。それで、0.03ppmの濃度になっています。ウイルスを殺す、不活性にする濃度です。
センターは臭いの苦情が多いので、人による「嗅覚測定法」によりモニターテストを行っています。
日本建築学会では、通常の部屋において、80 %以上の人がその臭気の存在を受け入れられる環境条件を保持すること(非容認率 20%以下)を目標として環境基準を定めています。

長時間在室していられるかどうか(生活環境不快度)を5 段階で評価したところ、0.03ppmの商品では「在室したくない」「できれば在室したくない」と回答した人が比較的多く、不快に感じた人が40~50%です。

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臭気強度が小さかった商品、つまりウイルスに効果がないだろう濃度でも非容認率が20~30%です。

首から下げるタイプは、動く人が使う商品ですが、このように多数の人を不快にするものを首から下げるでしょうか?人を不快にしない濃度では、ウイルスに効果がないだろうに!

日本二酸化塩素工業会は、首下げ型製品について消費者の皆様に「屋外での使用は期待される働きが得られない場合があるため、屋内で使用すること。」という使用上の注意の徹底するそうです。



放射線被曝と生命の進化(断章) [有機農業/食物にする生命との付き合い方]

自然界には、地球誕生の時に宇宙から凝集し以来地殻に存在するもの(や宇宙線により生成されたものなど、さまざまな放射性核種が存在し、これらの核種を含む物質は、自然起源の放射性物質「自然放射性物質」(NORMa : Naturally Occurring Radioactive Materials)と呼ばれています。

原始の海の深い所で生命が誕生したのは約40億年から38億年前といわれています。グリ-ンランドで、38億年前の畳半畳ほどの小さな岩に幅30cmの黒い帯、生命が這い回った痕跡が発見されています。38億年前にはここは水深数百mの静かな海の底で、体長は1mmの百分の一位の現在のバクテリアのようなもので、水中を漂いながら、海中から炭素を含む栄養分を採って生きていたと考えらています。

 最も豊富にある自然起源の放射性各種はカリウム40ですが、半減期が約12.8億年ですから、現在の8倍ほどのカリウム40が有り、ベータ・β線やガンマ・γ線をだしていた。トリウム232は半減期141億年で約1.2倍。アルファ・α線を出すウラン235は半減期7億年ですから、現在の43~52倍位あった。ウラン238は半減期44.7億年だから、現在の約1.8倍ありました。これが崩壊で生成するウラン234、ラジウム226、ラドン222なども現在よりも多くあった。原始の生命に現在より多い、内部被曝や外部被曝させていたのでしょう。

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 我々の自然状態では宇宙線、宇宙から来る放射線で被曝しています。月地表面で100~500mSv/年、火星で70~300mSv/年で、宇宙空間で1日当たり1mSv位です。月の表面で1年間に受ける宇宙線(放射線)の量は、地球地上で浴びる宇宙線の300?1400倍です。宇宙空間や太陽から降ってくる、高いエネルギーを持ったX線、ガンマ線や電子や粒子です。粒子の約90%は水素の原子核の陽子が飛んでいる陽子線で約8%がヘリウムの原子核が飛んでくるアルファ線、重い鉄などの原子核が飛んでいる重粒子が約1%です。また、放射線に分類されませんが紫外線の被曝も多い。
 この宇宙線が、地球に侵入すると大気の様々な気体分子と衝突します。そして、新たな放射能・炭素14などができたり、γ線やβ線が多数生成(2次宇宙線)します。この2次宇宙線のγ線やβ線を被曝します。陽子線の生体に与える影響(線質係数)はγ線やβ線の5倍、アルファ線は、生体に与える影響(線質係数)がγ線やβ線の20倍。高地、高空では大気層が薄くなりますから、陽子線など生体に与える影響大きい宇宙線が多くなり、概ね宇宙放射線の線量強度が1,500m刻みで2倍になります。約25km以上の高度から気体分子と衝突もおきなくなり2次宇宙線がなくなります。
 宇宙線は水深1000m相当の深さでも検出されるものもあり、紫外線の一部は1000m付近まで届きます。つまり、太陽の光が余り届かない深い水域が宇宙線や紫外線被曝では安全です。生命誕生の舞台が水深数百mの静かな海の底だったのは、宇宙線を水深で遮蔽できたからと考えられています。つまり、当時の浅い海での宇宙線や紫外線被曝には対処できないが、カリウム40などによる被曝でできる損傷を、子孫を残せる期間は生き延びられるように修復できる能力をもった者が繁栄したのです。
 時がたつにつれて、カリウム40などの量は崩壊で減っていきます。30億年前ではカリウム40は現在の約8倍から約5倍に減り、ウラン235は現在の43~52倍から約20倍に、ウラン238は現在の約1.8倍から1.6倍に減っています。余力が生まれた修復能力で宇宙線など被曝にも対処できるようになり、宇宙線が多いが注ぎ込む太陽光のエネルギーを利用できるより浅い所に進出します。太陽光のうち赤い波長は水深10mほどで100%減衰しますが、緑色や青色の波長のは減衰が35%程度が緑色や青色の波長の光を吸収利用する紅色細菌があらわれます。
 地球の冷却によって28億~27億5千万年前に、地球内部のコアに強い地電流が発し強い地磁気が発生するようになりました。地球が一個の巨大な磁石のようになり地球の外側の周囲に磁気圏が作られました。宇宙線の粒子線は原子核ですからプラスの電荷を持っています。高速で飛んでくる電子はマイナスの電荷を持っています。運動する電荷は電流が流れているのと同じですから、磁場を作ります。この磁場と地球に出来た磁気圏の相互作用で、宇宙線の多くの部分、荷電粒子は地磁気線に沿って周回運動を繰り返しながら、一部はオーロラを出現させて、マイナスの電荷の電子は東方向に陽子などプラスの電荷をもつものは西方向に拡散し多くが到達しなくなりました。

 宇宙線被曝が減りました。現在の地磁気がゼロになり磁気圏がなくなると、世界平均で宇宙線被曝が倍増すると試算されています。現在の海上では、1年で0.26mSv程度です。浅く太陽光が燦々と降り注ぐ浅い海に生命が進出できます。浅い水深では、赤い波長も減衰が少ない。水深1メートルで赤い波長の減衰は約30%、青と緑の波長は約5%です。それで赤い波長と青い波長を吸収利用し、緑の波長は反射するつまり緑色に見える葉緑素で光合成を行うジアゾバクテリアが繁殖します。
 光合成は酸素を作り出し、海水中の酸素濃度が高まります。酸素は化学的活性が強いので、呼吸でより多くのエネルギーを取り出せます。しかし、活性酸素といわれる形態は、生物を傷つけます。酸素呼吸では1~2%の酸素分子が活性酸素になります。放射線は生物のDNAなどを直接切断する損傷と水を分解し水素と活性酸素を作り出し、その活性酸素が傷つけるという二つの経路で生物を傷つけます。環境に海水中に酸素が豊富に含まれ、酸素呼吸が盛んにすれば、後者の活性酸素損傷の経路が昂進することです。
 環境が酸素豊富に変って、3つの適応パターンになっています。一つは酸素があると死滅する嫌気性、一つは酸素がなければ生存できない好気性、その中間の酸素が有っても無くてもOKの条件的嫌気性。好気性はカタラーゼなどなどの活性酸素を無毒化する酵素を持つように進化した生物です。それでも、活性酸素は無害化しきれない。磁気圏の形成で放射線被曝での損傷を修復する能力に余力が生まれたましたが、新たな負荷、酸素呼吸で発生する活性酸素がかかり活用されている。
 海中から大気中に出た酸素が現在の十分の一、約2%になると高空にオゾン層ができはじめます。約4億~4億5千万年前にオゾン層で太陽光の紫外線、特にDNAを損傷するUVC(波長280~100ナノメートル)が完全に、UV-B(315~280ナノメートル)は一部、遮断されるようになります。そして生物が上陸します。
上陸によって放射線被曝はどう変化したでしょうか?外部被曝は増えたのではないかと思います。カリウム40のβ線は、水中にでは約1センチほどしか飛びません。γ線も約1mです。陸上ではβ線は大気中を約10mほど飛びます。γ線は約100mです。水中では、半径1mの球形の内部にあるカリウム40などの出す放射線で外部被曝します。上陸すると、半径約100mの大地から出るγ線と10m以内のβ線を浴びることになる。宇宙線も水中にいれば、水で遮蔽・減衰します。
 この約4億年前時点でカリウム40などは随分減っています。カリウム40は生命誕生時に現在の8倍ありましたが1.25倍に減り、ウラン235は現在の43~52倍位が1.5倍位に、ウラン238は現在の約1.8倍から1.06倍に減っています。これらによる内部被曝は、この減少で減っています。しかし、ラドン222の呼吸による内部被曝は増えたと思います。
 2007年に海洋地球研究船「みらい」の観測航海で水深4.5mの海水ラドン濃度が測られています。1.5~0.5Bq/?で「風速が弱いと1.5Bq/m3 と大きく、表層海水中ラジウム濃度1.6 Bq/m3とほぼ等しい。」「風が強くなると海洋表層の混合層が発達して、海水中ラドンが大気に散逸するため」のラドン欠損現象・低下が見られました。新潟県放射線環境センターの柏崎刈羽地域での調査では、ラドン濃度は夏から秋に高く冬低い季節変動を示し、月平均値で 4~8 Bq/?の範囲です。つまり、陸上の大気中の方が、海水中よりもラドン222濃度が大きい。それで、ラドンを呼吸で取り込む量が上陸によって増えたから、それによる内部被曝も増えたと思います。


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